マスキュリニズム(男性学)への微妙な不信感
私は今のマスキュリズム(男性学)のトレンドをいまいち把握していない、というか、現代思想も少しつまみ食いの斜め読みしたのみで積ん読していて、まぁ率直に言うと知らんのだが…
フェミニズムがブラックフェミで示したように人権運動てのは「権力者・権威に一番都合の悪い層に標準を合わせないとダメ」なんだよね。
でないといつまでもアンクル・トムの小屋現象から抜け出せない。
いつまでも優しいご主人様を探し続けてしまう。
つまり「白人に一番都合の悪い白人嫌いの黒人」「日本人に一番都合の悪い反日の東南アジア人」「首相に一番都合の悪い政権デモ市民」「男性に一番都合の悪い女性」にも寄付なり支援なり税金分配等なりの最低限の権利保障が為されていなければ意味が無い、と言う話。
男性に一番都合の悪い女性とは誰か、となるとレズビアン(女性同性愛者)やアセクシャル(無性愛者)やミサンドリーや性嫌悪の単身女性になるんだけど。
妻母娘として利用出来ず、娼婦としても利用出来ない層。
だからフェミニズムはその層に一番都合が悪い社会設計が為されてしまわないよう考えなければならない。
翻って、マスキュリズム(男性学)が何故だかいつまで経っても「非モテ男性の苦しみ」とやらしか聞こえてこないように思う。
ここが一番個人的に不気味だし信用ならないなと思ってる点。
マスキュで救うべきは当然、ゲイセクシャルやアセクシャルや性嫌悪、女性嫌い(※勿論『女性嫌いの女体好き』は除外。それじゃあ普通にどこにでもいるmisogyny男性だものね)な男性も含まれるべきでしょう?
ゲイセクが「ノンケ男にモテなくて辛い!非モテゲイにも男をあてがえ!」と「非モテの辛さ」を訴え出したらマスキュはどう応答するつもりなの?
だからマスキュリズムは非モテが辛いのどうのこうのに拘泥するんじゃなくて、トキシックマスキュリニティ(有害な男らしさ)とホモソーシャル、「男らしさにこだわるあまりの生きづらさ」の部分にのみさっさと標準を合わせるべきなんだよね。
女体獲得に動こうとするから自縄自縛になるんだよ。
…と、個人的に思う。