資本についての思考実験
「資本家に資本を手放させる為にはどうしたら良いか」を真剣に考える思考実験してる
やっぱり労働者の減少は喫緊の問題と捉えるのだろうか…。
そもそも日本はネオリベ(新自由主義)の寵児とも言うべき(※皮肉です)竹中平蔵を小泉政権時代から重用し続けるくらいネオリベ大好きで「小さな政府(※具体例で言うと国営の国民のインフラ事業を民営化し国や政府から責任を切り捨て続ける)」を実行し続けてきたくらいなのだから市民活動についても「労働人員自体が減少し小さくコンパクトにまとまる」のは拒否出来る立場に無いのではなかろうか?
斉藤幸平氏の『人新世の資本論』を読んだ者なら分かるだろうが、アップルもマイクロソフトもその他主要ハードウェア企業も、レアメタルの発掘の為の後進国の劣悪な環境下での採掘(死亡事故多発)、児童労働の現場が厳然として存在している事実を把握しながらも無視し人権デューデリジェンス(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2510M0V20C21A4000000/)
観点の見直しを無視し続けている状況なのだから、庶民及び労働者階級者(プロレタリアート)層は彼らを富ませる為の都合の良い道具として人員自体の再生産を繰り返し、ひいては「先進国の人間が使う為のレアメタルを発掘する為に後進国の女性が更に子を産まされ続けている女性人権侵害・児童人権侵害環境」に加担をしていく事を加速しなくても良いのではなかろうか。
強固なピラミッド型の資本主義とは違う、全く新しい社会システムは気候変動が問題視されている昨今、世界中の人々の希求とするところではなかろうか。
目を覚すべきはプロレタリアート層も当然の如く、一番『起こすべき』『寝た子』とは、悠々と貧困者のガリガリの身体が束になり出来上がったソファーに居座り続ける資本家達をこそ”目覚めるべき”ではなかろうか。
児童達の過酷な労働の上に我々の便利な暮らしは成り立っている。
人の再生産、環境の再生産とは、「現状維持を望む事」に他ならない。